最後はやっぱり君

ただの宮田担です。

私が宮田担に出戻りしたわけ


こんにちは。突然ですが、今日から重岡担から宮田担に出戻りをしました。
前置きをしますと、5年間宮田担であった私は2年前重岡くんに担降りをし現在までヲタクをしていました。
重岡くんを好きだった2年間はとても幸せで(あのカウコンは死にそうだったけど)楽しい日々でした。
しかし、私はやっぱり宮田担へと戻ってしまったのです。
その理由はやっぱり『宮玉』でした。

・そもそも、宮田担を降りたわけ
2011年2月の代々木体育館、あの場に私は宮田くんの団扇を持って客席にいました。
キスマイのデビューが決まり、本当に嬉しかったのを覚えています。
しかし、デビューをきっかけに違和感が生まれてきます。
その前からごくせんを期に宮田くんのシンメである玉森くんはどんどんと推されメンになっていき、宮田くん自身も後に語っていましたがどんどんと宮田くんが『置いていかれている』風に見えました。(もちろん、玉森くんのごくせんは嬉しかったし、観に行きました。)
いつも宮田くんのシンメの位置にいたはずの彼が真ん中にいる。それなのに宮田くんは後列でまるで黒子のような衣装を着せられている。
宮田くんだけでなくキスマイ自体が『兄組』と『弟組』でなく『前列』『後列』で区切られている、そしてその後列に千賀くんがいる。
当時まだ幼かった私はその現実が信じられなかったし、信じたくなかった。2枚目は変わるだろうと思ったけれど、相変わらず音楽番組に出ても宮田くんのアップは1回あるかなくらい。
だけど、ここで応援するのをやめたら負けな気がしていました。
そんな中『舞祭組』というグループが生まれました。
今はそんな形でもスポットライトを当ててくれた中居さんに感謝しているけど、当時の私は許せなかった。本気で世界で一番かっこいいと思っていた宮田くんが舞祭組と呼ばれる現実が受け入れられなかった。
応援することに疲れてしまったんです。よくあるデビュー降りってやつです。
そんな中手を差し伸べてくれたのが(大袈裟)重岡くんでした。

・そんな私が宮田担に出戻りしたわけ
重岡くんを応援していた間は本当にすごく楽しかったんです。笑顔の下に色んなものを隠しながら、でも、完璧なアイドルでいてくれる重岡くんを見ているのが本当に楽しかった。
そんな日々の中でたまたま宮玉が今回のアルバムでデュエットをしたというのを知りました。そう、BE LOVEです。
あれを聴いて、レポを見て、メイキングを観て、びっくりしました。
そこにいたのはあの頃と変わらない2人だったから。
宮田担を辞めたとき、どうせこの状況じゃ宮玉の関係も変わっていってしまうんだろうなと思っていたから本当にびっくりしました。
そして同時に、自分はなんてバカだったんだろうとも思いました。
あんな長い間Jr.の同じグループで活動してきた7人が、やっとデビュー出来て、その形が例え思い描いてたのとは違ってもへこたれるような、諦めるような人たちではないなんてこと知っていたはずなのになあ…と。
そしてもう一度宮玉に注目し始めたらあれよあれよという間に再び宮田くんに堕ちていきました。
だって彼は私が見ていた頃の彼と良い意味で全く変わっていなかったから。
優しくて、かっこよくて、玉森くんが大好きで、メンバーに愛されてて、オタクで…そしてあの頃よりも堂々とした素敵なアイドルな彼がそこにいました。
そして玉森くんは宮田くんの隣にい続けてくれた。
多くの宮玉担さんのように私も本当は玉森くんが宮田くんに固執してるんだろうなと思っている1人なんですが、だからこそ今も『宮玉』というジャンルが存在しているんだろうし、これからも存在し続けるんだろうなと感じています。
彼らはこれからも変わっていく状況の中でも『なるべくゆっくり、優しい気持ちで』歩んでいくんだろうし、その光景を今度はずっと見させて貰いたいな、と本気で思いました。

以上が私が宮田担に出戻りした理由です。
まとめると、BE LOVE最高!宮玉最高!玉森くんありがとう!ということです。

ありがとうございました。